お茶という交換価値の終着点1

手短なギフトの定番として、お茶という嗜好品がある。 とりわけ、紅茶が、ここ日本では人気である。特に女子の間で流通していることが多い。 そして、ギフトとして受け取ったものは表立って、何かと交換しずらいものである。そして、再び流動性の高い現金には変換が難しい消費財である。 もちろん、そんな高価なものではなく、気遣いの気持ち...

いつもとちがう海

近所にあるのはリゾートでもない、観光地でもない、漁村でもない、ただの海。人の気配はまったくない。背後からは高速道路を通る車のエンジンとタイヤの摩擦の無機質な音が後ろで鳴り響き、街と海とを隔離する。目の前からは聞こえるのは寄る波と引く波のざわめきが聞こえる。そして、ときおり松林の方から聞こえる虫の音色。 暗闇にある色の世...

[一年後]矛盾を編集する力 鈴木大拙 x 西田幾多郎

ちょうど、このトークイベントに参加してから1年が経過した。金沢への新幹線は無事開通し、観光客が急激に増えた。すでに10回以上、北陸新幹線を利用させてもらっている。新幹線以前はそれまでは小松空港を利用していたが、新幹線の便利さ快適さにはぐうの音も出ない。そして、鈴木大拙館に「両鏡相照」と題し、学習院大学で行われた特別展示...

dubとグレン・グールド

今週であった新しい音楽。 これまで、詩の共感性からばかり、聞く曲を選んでいたが、今回はどうやら違う。 正直、どちらもまったく素人の分野、ピアノもわからないし、もちろんDUBも。レゲエを聞き飽きるほど聞いていた大学時代が懐かしいが、リズムを体が覚えている以上、前者のDUBの方が有利だが、さてさて。 Tweet

月と山

われわれが月を目指して、山を登る。月に到達するだろうと考えるのは妄想だ。山は果てしない。しかし、どこまで歩もうとも、月は常にわれわれと共にある。 鈴木大拙 月はときに雲に隠れる。いや、我々が月に雲をかけて見えなくさせているのであって、見なくなったと考えるのは傲慢だ。月は常にわれわれと共にある。見ようとするか、どうかだけ...

久しぶりの更新

なにか伝えたいと思って、書きはじめるのだと思う。ここ(Blog)に書くということは、誰に見られているかわからない、そして、誰かに見られたい、伝わってほしいと思っている。が、書き始めると、急に畏まってしまい、思いつく限り書いていっては支離滅裂になると筆が止まる。 ただ書きたいという欲望だけを満たすならば、それでいい。だけ...

西田幾多郎記念哲学館 夏期哲学講座 2015

8/22-25の4日間、石川県かほく市宇ノ気町にある、西田幾多郎記念哲学館で開催された「夏期哲学講座」に参加してきた。本格的な長期セミナーに参加したのは、大学受験直前の冬季セミナー以来だろう、そもそもそれが比較対象として適切かどうかは別にして。 理系人間で、大学の途中で学部内文転をしたような学生時代、正直なところ、体系...

テクノロジーは宗教になる?

「テクノロジーに目を向けたとき、そこにはもう泳ぐための“コース”はありません。そこにあるのはコースではなく、ただ、ひとつの“プール”なのです」 テクノロジーにコースはない、一つのプールの中で激しい競争が行われている。 ものとインターネットとの融合により旧来の業種がサービス化され、すべての業種がプールに投げ込まれようとし...

ニートである不安の虫との戦い

(妄想含む、私感です) 不安になる、ということは生きる人にとって日常であり、当たり前のことだ。けれども、一つのことに対して不安なことが何日も続く、ということはそうめったにない。しかし、そんな日々がまさか、突如自分にもやってきたのだ。 人間の不幸はすべてただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かにとどまっていられないことに...