アジアでアジアの仕事づくり

代表がマーチャント・アドベンチャラー(merchant adventurer)と名乗り、海賊のごとくアジアを開拓している。引っかかるだろう、なんだ?Merchant Adventurerってのは?14世紀から15世紀の大航海時代に、航海図も未発達で、地球が丸いことも認識されていたかどうかの時代に、未知の海へと乗り出し、貿易で莫大な財産を築き上げた冒険野郎のことをそう呼ぶのだ。代表的な人物はコロンブスやマゼランなどの探検家であろう。余計な知識だが、イギリス・ヨークにはマーチャントアドベンチャラーズホールがある。

話を戻そう、グランマ代表本村拓人は年間のスケジュールで考えれば、2/3は日本を離れている。2012年4月22日現在はネパール・カトマンズ。これでも話は戻っていない、「日本で日本の仕事をする」「日本でアジアの仕事をする」「アジアで日本の仕事をする」の話だ。会社の成長が一つの物語だとしたら、仲間との出会いの繰り返しと自信の脱皮がひたすらに繰り返され、ゴールにたどり着き、帰還した後に再び試練がやってくる、そのサイクルを回し続けるのだろう。

「日本で日本の仕事をする」

Webやプロモーション動画を制作したり、プロボノ的働き方を推奨するイベントを開催し、ソーシャル・モチベーション-Socimo-について語らう会を主催し、ぱっとしなかった2009年のグランマは「日本で日本の仕事をする」フェーズであった。アジアの息吹がはじまったのは、創業メンバー3名でフィリピン視察に出かけたあたりからだ、グランマに突いて何か語るときには、このフィリピンは外せないマスターピースとなりつつある、バックパッカーだった3人が団体行動ができるわけもなく自由気ままに過ごしつつも、お互いの色を認識した旅だった。

「日本でアジアの仕事をする」

フィリピン以後、僕たちはできるかどうかは置いてきぼりにして、海外、とりわけアジアの仕事を増やそうと躍起になりはじめた、コンテンツ提供であったり、海外の課題解決を軸としたCause Related Makreting(寄付つきマーケティング)の提案など、そのとき、自分たちが持っていたリソースでできることを必死に形にしようともがいていた。その背後で「世界を変えるデザイン展」という企画の原案ができた、そのきっかけはフィリピンのゴミ山で見た風景だった。

「アジアで日本の仕事をする」

Photo by numa
Photo by numa

世界を変えるデザイン展開催後、しばらく仕事がなく、会社ごと失業したような状況であった。そんな中、オフィスも都内から千葉県鴨川市に移転した。海外、とりわけアジアの仕事をするなら、都内にいなくてもできるはずだ!、と海の見える元ペンションに移転したのだ。そこで人々を魅了するコンテンツを生み出し、何度も来たくなる景色とホスピタリティさえあれば、なんとかなると考えた無謀な挑戦だった。無謀だけどなんとかなるという計画性のないベンチャーマインドはだいたいは失敗する、案の上、うまくは行かなかったが、その反面、日本の大手企業からアジアでのリサーチを手伝ってほしいという依頼がはじめてやってきた。それは、2兆円の売上を誇る大きな企業からだった。

「日本もアジアの一員であると認識する」

現地でのリサーチがスタートすると、アジアから見える日本、日本から見えるアジア、この2つのギャップを感じるようになる、日本人は日本とアジアを分けて考え、日本人とアジア人は違うものとして考えがちであることに、自分も潜在的にそう考えていたことに気がついたのだ。もちろん、日本はアジアで最初に先進国の仲間入りをしたという先輩意識はあり、日本を追随するという構造はなくはない。しかし、経済的な成長が先に進んだからといってアジアでなくなるわけではない。地理的には海を挟んではいるが、古代からずっと超大国の中国の周辺国であり、アジアの一員である。しかし、無意識的に自分たちは他のアジア諸国とは違うという選民意識に似た優越感を持っていたんだろう。また、別の側面からはインターネットの浸透により、中間層以上は世界のどこかで起こった変化に同じく反応し、行動するような同時代性を共有している。同じ情報を起点にアクションしている、その感覚に僕はしびれてしまった。

「アジアでアジアの仕事をする」
具体的な動きから一気に前に進みつつあるのが現状だ。まだまだ先行きは不透明、ただ突っ走る先だけは決まっている。


インド経営大学の教授であり、Honeybee NetworkのFounderであるAnil Guptaとパートナーシップを組み、草の根から起こるイノベーションを生み出していく。


マレーシア政府の外郭団体であるYIM(Yayasan Inovasi Malaysia)とKLワールドイノベーションフォーラムというカンファレンスを共催することが決定。


・「Design for Change」というインド・グジャラードからスタートしたデザインシンキングを子どもたちの教育に、そして地域や身近な課題解決に役立てる動きに、そのアイディアからイノベーションをもたらそうという画期的なアクティビティを日本で広げる動きがはじまった。

ものがたりはまだまだ続く。

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Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。