イマジネーション

こどものころ、死を想像したことはありますか?

そんな問いをどこかで聞いた。

「なんで死ぬんだろう?」

僕はよく考えました。極楽や地獄があって、どっちに行くんだろう?と。人生にいつ起こるかわからない「死」というイベントは、人の未来を想像する力を阻みます。生きていない未来は永遠に続くかもしれないのにだいたいがんばっても、80年後までしかイメージはできません。しかしそれと同時に、より豊かに生きている時間を過ごすという原動力を与えてくれます。

僕にとっての豊かさは、2つの軸があります。1つは瞬間瞬間が充実していること、楽しいこと、面白いこと,悲しいこと、寂しいことです。そして、もう1つは今の積み重ねを通じて、自分の肉体が消え失せた未来に、何を残せるか?が基準になっています。

そんな僕は、子どものころ、社会の教科書に乗るような人生を歩みたいと思っていました。理科の教科書に載るような発見をしたいと思っていました。だから、ノーベル賞学者や、オリンピックの選手だったり、突き抜けた存在に憧れ、そんな業績を残したいと思っていました。その想いは今も変わっていません。

僕は、「想像力」というロマンに、気持ちが傾いています。

探究し続ける課題を持てることほど、幸せなことはないと思います。それが社会の役に立つことは非常に重要なことだと思います。僕は社会の期待なしに、何かに没頭して探究することは寂しがり屋なので、できません。だから、僕はここ数年間、貧困問題を中心とした社会課題について、探究してきました。

そこで気がついたのは、想像力が枯渇している人たちが、世界中にいるということでした。いわゆる、人は常に、自分の身近な生活にすぐに影響のないところに、想像を働かすことはできません。ましてや、行動をすることもできません。行動をしはじめた人は、いつかはそれで生計を立てることを目指します。それで稼ぎ始めれば、しがらみに囲まれて、自由を失い、自分の本意とは離れたところに、辿り着いてしまう可能性が高いです。だからこそ、アマチュアであることが、非常に重要なのです。そうあることで、探究し続けることができる。僕はアマチュア探究家でありたいと思います。

話が大きくスタンスの話にそれました。戻りましょう、想像力が枯渇している人たちの中にも、想像力に溢れたキャラクターがいます。そもそも、人は自分の中に、複数の役割、複数の人格と複数の社会ネットワークを持っています。次世代に、自分たちのDNAを残すために、生き残るライフデザインを行います。その中でも、人は人と協力し、人に共感し、人を支える道徳性を、本来的に保持しています。

さて、僕の探究対象はというと、さきほども述べたように、想像力です。脳科学でしょうか、心理学でしょうか、生物学でしょうか、社会学でしょうか、はたまた経済学でしょうか。どの分野かはわかりません、分野横断的に、とかっこよく言うつもりもありません。

さて、今日はここまで。

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