Just Married  -祖母との思い出-

12月21日、2歳年上の姉が結婚した。

結婚式当日の僕の役割は、ビデオの撮影係。

普段から落ち着きがなく、家族と一緒に長い時間いることができない性分だった。そして、この日はビデオ撮影という大義名分があってよかった。
しかし、それ以上に、一緒にいたくない理由ができるとは思わなかった。

本当にテーブルにいる家族とは、違うところにいてよかった。

カメラの液晶越しに見る姉は、いつもと同じで違っていた。どんなに美しく飾っても、僕の視線は笑い顔のときに見せる「出っ歯」に集まる。だけれども、それよりも姉の笑い顔が周囲を明るくして、みんなが幸せそうになっているその風景がいつもと違っていた。いつも姉とケンカばかりしている母は微笑みを絶やさないし、父は照れながらうれしそうだった。

結婚式自体は本当に目新しいことはなかった。ただ、姉の晴れ姿を見に、120人以上の人が集まった。この30年以上、姉と弟という関係でしか、姉を見れていなかった僕には、姉の歩んできた人生という作品を、その参列者を通して見聞することができた。そういうのに、僕は嬉しくなるタイプだ。当日までは気が進まなかったビデオ撮影にも気合いが入る。

人前式、ウェルカムパーティ、披露宴と滞りなく式は進んだ。

そして、お色直し。
姉は祖母のところに歩み寄った。
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僕の涙腺はどうしようもないくらいに緩んだ。普段は涙もろくはない、しかし今日ばかりは涙のせいで、ビデオカメラの液晶画面がぼやけて、うまく撮影できない。こんな姿はできるだけ、家族に見られたくはない。カメラに隠れて、涙を袖で拭いた。

姉にとって、そして僕にとって、共働きだった両親にかわって、祖母に育てられたと言っていいほど可愛がってもらったし、長い時間を一緒に過ごした。祖母は、姉を会場の外まで連れ添った後、僕に向かって流暢に喋りはじめた。

今はもうすっかりぼけて、同じことしか言わなくなった祖母も、姉の涙ぐんだ顔を見て、手を取って歩んで、頭のスイッチが入ったようだ。僕がどれだけおばあちゃんっ子だったか、をテーブルにいた家族みんなに自慢し始めた。そう、子どもの頃から早起きだった僕にとって、肌寒い冬の早朝にこたつではなく、祖母の布団に潜り込んでいた。10歳くらいまで、毎日のように。布団に残るぬくもりと祖母の匂いが今でも懐かしい。ほっこりと暖かい気持ちと嬉しさに溢れた。

披露宴の後半では、恒例の余興。姉が死ぬほど頑張っていたバスケット、高校時代、一緒に汗をかいた姉の友人たちがつくったサプライズ映像があった。事前のCMにあったSATOSOKはALSOKのCMのパロディーで、大爆笑!!!

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おもしろおかしく感動がある映像だった。

しかし、その後に続いた姉との思い出をまとめた、結婚式では見慣れた何でもないスライドショーが引き金になった。


翌々日、撮影したデータを整理した。撮影しただけで、放置するのは悲しすぎるし、家族がたくさんうつっている映像は貴重だし、もちろん姉とその旦那さんの大切な思い出でもある。

2日経っても、結婚式の感動は冷めやまず、映像を見て幸せな気持ちになったり、祖母と姉のシーンで再び涙が出そうになった。そのなかで、ただただずっと頭の中に残ってリフレインしていた歌詞があった。

そばにいたいよー、きみのためにできることが…

データを整理したあとから、ずっとその台詞とメロディーが頭で繰り返されていた。こういうのは曲名を知ってしまうと興ざめすることが多いから、しないようにしていたけれど、どうしようもないぐらい気になって、Googleで検索してみた。

秦基博、ひまわりの約束、Stand by me。2014年ドラえもんの映画の主題歌のようだ
ドラえもんは子どものころから、マンガは買っていたし、映画版は中学生までそろえていて、たまに実家に帰ると、懐かしくて読んでいたぐらい好きだ。2006年ぐらいのテーマソングだった「ボクノート」は不安だった就活時代を支えてくれた曲の一つだ。きっとこの曲もいいに違いない。そう思って、youtubeで再生した。

どうして君は泣くの まだ僕は泣いていないのに

このリリックは経験した覚えがある。しかも、近々で。そう、僕は先月で、6年以上勤めた会社を辞めた。勤めた、というよりも仲間と創業した会社を辞めた。その辞めることを一緒に楽しいときも、悲しいときも、辛いときも、歓喜のときも、長い時間をずっと過ごした仲間に、辞意を伝えたときの情景だった。

Just Quittedに続く

Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。