『西田幾多郎』 佐伯啓思

難攻不落の読み物がある。わかったふりをして通り過ぎることも許さず、立ちはだかる。どれだけの本を読み、人生経験を積めば、読めるのだろうか、再び挑もうと意欲を持てるのだろう、と悩ましいながらも、ずっと本棚の真ん中に飾られている本がある。

西田幾多郎『善の研究』。どうにか読解したいと鎌倉にある東慶寺に、寸心荘に、足を運んできた。しかし、読者に理解してもらおう、読んでもらおうとする配慮をまったく感じない、探究のために貫かれた独特な文体は読みづらいこと、この上ない。

石川県の同郷であり、西田の旧制学校時代からの友人である鈴木大拙の本は感覚的に理解できる。ちなみに、石川県にある両人の記念館は対照的だ。谷口吉生が設計した鈴木大拙記念館は、回遊することで3つの庭と3つの棟を巡ることができる。安藤忠雄が設計した西田幾多郎記念哲学館は、迷路である。駐車場から、本館にたどり着くまで、哲学の道を模した面倒な道になっていて、さらに建物の中も迷路のようになっている。ともに訪れた人が思索できるようにと考えた空間なのだと思うけれども、歩きながら考える哲学館と歩みを止めて思索する大拙館、対照的である。

西田の思索は西洋がギリシャやローマの都市国家からの伝統である広場での討論で考える客観的な論理とは異なり、1人で自己の経験をもとにして、己の内にある深淵を覗き込むことで、その底に普遍的なものを見出そうとした。哲学を特権的なものとして扱うのではなく、日常の経験を突き詰めた中にあると考え、ありきたりの生活から普遍的なものを取り出していこうとしていた。西田哲学が身近なものに感じるとともに、日常の経験に鋭敏になることはどんなに難しいことかとため息が出てしまう。

しかし、西田の日常には悲しい出来事がおおかった。子どもたちと立て続けに死別し、母と死別し、妻と死別する。哲学とは、西田にとって書物から得られる客観的な知識ではなく、生き方そのものだった。具体的な日常の生の経験が「私」を知る契機となると考え、私が先にあって経験がるのではなく、経験が先にあって私があるという前提に立っていた。

哲学の『動機』は驚きではなくして、深い人生の悲哀でなければならない

西洋哲学が驚きから始まるのに対して、繰り返しになるが、西田は自身の哲学の動機を「人生の悲哀」にあるとした。西田はきわめて広範で多岐に渡り、西洋の哲学、文学を読み解いていた。西洋哲学の成果をふまえた上で、可能な限り合理的・論理的な思考につとめ、それとは異なった日本の哲学を生み出した。日本と西洋を対立させたのではない。西洋哲学を突き詰めることで、日本精神をふまえた自分自身の哲学的立場にゆきつくだろうと思っていた。

生きるために哲学をするのであって、知識を求めるためでもなければ、社会の役に立つためでもありません。自分の人生だけがさしあたり西田の問題だったのです。哲学はつねに人生と切り離すことはできず、行為する自己の苦悩だけが哲学の動機だ、、といっているのです。

このように「経験」に徹底してこだわった人物はまた同時に、徹底して客観的で科学的な態度にこだわっていた。「純粋経験」から出発した彼の哲学が「絶対無の場所に」の論理に行き着いた時、彼はこれを徹底した実証主義、客観主義だなどと述べている。西田が悲哀という主情的で経験的なものから出発しながらも、それをできるだけ一般化し、客観的なものへと高めようとしたことは間違いない。そこで彼が行き着いたのが、「無」の論理だった。

伝統芸能を理解するために、ワークショップや書籍などを通じて事前に学習することが必要なように、西田哲学を読むために、少しでも肚落ちさせるために、事前学習が必要なんだと思う。そして、西洋の合理的、科学的な論理で、主観より客観で見ることに重きを置いたモノの見方・考え方のフィルターを一度見直す良い機会になる。西田哲学という迷宮の入りを探していた方にはお勧めできる。わかることは、わからないから、わかるのである。