[一年後]矛盾を編集する力 鈴木大拙 x 西田幾多郎

ちょうど、このトークイベントに参加してから1年が経過した。金沢への新幹線は無事開通し、観光客が急激に増えた。すでに10回以上、北陸新幹線を利用させてもらっている。新幹線以前はそれまでは小松空港を利用していたが、新幹線の便利さ快適さにはぐうの音も出ない。そして、鈴木大拙館に「両鏡相照」と題し、学習院大学で行われた特別展示の再現展が開催されており、足を運んだ。そして、一年前の書ききれなかった記事の存在を思い出した。

キーワード:明治三年、善、禅、金沢、二項同体、内村鑑三、清沢満之、契沖、本居宣長、三浦梅園、正・反・合(弁証法)、空・仮・中(天台止観)、山崎闇斎、湯川秀樹、老荘思想、間、編集、矛盾,往復書簡、無、うんとこどっこいしょ

 

 

 

明治三年


2人が生まれた年、この前後に明治維新、王政復古が起こったが、神仏分離、廃仏毀釈が2人の思想に影響を与えていく。それまでは日本は神仏習合であった。儒教も道教もキリスト教も、全宗教が同時に入ってきたにも関わらず、神仏分離をした。天皇制との関係があった、国家神道となったことである。

お雇い外国人によって列強のグローバリズムが持ち込まれ、ミル、ルソー、ダーウィンなどの考え方を受け入れた、それを日本の文化と融合できれば良かったが、なかなかうまく行かなかった。そこで、二つのZEN(善と禅)を少年時代から持ち込んでいた2人が金沢で育った。

金沢という場所


江戸の葵と京都の菊、両方をエディットした。京都からは伝統や文化やもてなしを、江戸には幕府があり、その家臣であった。その矛盾を編集する力が金沢にはあった。加賀の前田は一度も戦火に巻き込まれなかった、それは平和の思想以上にもっと凄いものが必要である。矛盾を編集し、壮絶な戦いを経てたどり着く平安がある、それは金沢が持つ特色であり、同じ金沢の四高で同じ先生に習った西田にも鈴木にもあった。

二項対立→二項同体


鈴木大拙や西田幾多郎に近い。西田と鈴木が日本の哲学を眺める最大の窓であり、2人がいることで立体化している。この2人の前に哲学者は日本にいたのか。そこで紹介されたのが、内村鑑三と清沢満之。二項同体を唱えた清沢満之。JAPANとJesusの間をまたぐことを決意した内村鑑三。

 

正・反・合(弁証法)→空・仮・中(天台止観)


天台止観は禅の根本にある。正反合と空仮中をあわせられないか、と試みたのが西田。有の哲学(同質性を求め、事故発見することをロゴスという)と無の哲学(関係性や自他の相対性、それが起こっている場)、この違いをどうにかしようとしていた。仏教ははじめ小乗仏教からはじまった、そこから大乗へ、大般若経、法華経、維摩経などをつくっていった。

 

その他


三浦梅園と編集、湯川秀樹、大拙と幾多郎を今の時代に適応させて考える、2人を乗り越えた先にあるもの、そのときに松岡正剛が関わったとされるアサヒ・スーパードライのコピー「コクがあるのにキレがある」、矛盾を包含したコピーに、そして、スパゲッティに日本的なタラコを加えて作った、たらこスパゲティなどに2人を乗り越えるヒントがあるのではないか、、、と。最後は駆け足で講演は終了。


同郷と越境


この講演会を尊敬する年上の友人から耳にしたとき、「西田幾多郎と鈴木大拙」と語り手としての松岡正剛、この三者の組み合わせにまったく違和感はなかった。まず、この講演会を企画・開催してくださった西田幾多郎哲学館と鈴木大拙館、会場である学習院大学の方々に感謝したい。まったくをもって関係者ではないのだけれども、郷土石川県の代表すべき知識人の2名を敬愛するものとして、哲学館及び大拙館を里帰りをしたときのルーティンにしているものとして、とても感慨深い。また、正剛先生には以前お仕事を依頼したことがあり、千夜千冊の読者としてもいつもお世話になっていているので、殊更言うまでもない。

事後ではあるが、断っておきたいことがある。それは同じ土地で育った人間から受ける影響について。海外で活躍する日本人のプロスポーツ選手やアーティストを応援するように、僕は世界や日本に誇れる実績を残した郷土の人を偏愛する。長い歴史から見れば、評価の定着は定まっていないと言えるが、少なくとも自分が生きている時代に同世代または数世代前の人の故郷から離れたところでの活躍には胸躍る。

それは、もっとローカルになれば、家族が国体に出たりだとか、同じ町内会のおじさんが町長になったり、同じ町内のお兄ちゃんが甲子園に出場したり、同じ市内の陶芸家が県民栄誉賞を取ったりと。自分が所属しているコミュニティを超えて、外で認められて活躍する人すべてにあたるのかもしれない。誠勝手ながら、そういった人に強く惹かれる。なんだろう、これはと思うこともあるが、そうなのだから仕方がない。だから、境界を超えて頑張っている人、すべてが好きなのかもしれない。ただし、その人との距離感で応援は嫉妬に変わることもあることは要注意だ。

そして、一年後


1年後に訪れた鈴木大拙館で振り返ったこの1年。個人的な悲哀と向き合い、乗り越えられたのは2人の存在のおかげである。夏には西田幾多郎哲学館で学ぶ機会もあった。とにかく2人の関係性に憧れ、その周辺をぐるぐるとしていたのだろう。

まだまだ、もやもや、ぐるぐる、言葉にできないことを言葉に、続く。

Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。