共感するということ

相手の立場になって考える

とは言うけれど、そもそもそれは無理なんじゃないかと思っている。自分は自分のことを一番考えている時間が長い。他人のことを考えている時間なんて、ほんの僅かだ。

相手の立場に立とうとすれば、四六時中妄想し、考え抜く努力が最低限要することだ。まず、その努力をしようと思える人はほとんどいない。できたとしても、一時的だと思う。

それ以前にそんな努力をするべき対象としての人を見つけることが難しい。仮に、それを探して一生一緒にいようということが結婚であれば、それは幸せなことだ。

次にお互いに適度な(decent)な程度に考えるというバランスを取るようになる。一方的な想いや愛情はそうそう長続きしない。お互いのやり取りの中でバランスを取り合っていく。ベン図でいう重なりの部分が大きい夫婦もいれば、小さい夫婦もいる。その重なり合いが多ければ多いほど、相手の立場になって考えられる。

という単純なことであれば、いいのだが決してそうではない、相手の立場というの想像するしかない、お互いの想像の産物が擦りあっているかは都度都度で違う。静的なものではなく、動的なものだ。立場や取り巻く状況はいつも変化するのだから。

話がややこしくなってきたが、結論相手の立場に立って考えるということは、あきらめたほうがいい。なんなら、まずは自分の立場をまずは知る。そして、自分の立場について、相手がどんな風に考えているかに思いを巡らせる。そうすることで相手の立ち位置との関係性や距離感を把握できる。

自分中心でしか考えられない性格の人間はそこを変えるのではなく、徹底的に自分のことを考えたほうがいいのだと自分への戒めを込めて。

Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。