ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』

ジョセフ・ヒースの本が好きだ、この本で2冊目なのだが、彼のアップテンポな文体、話題の広がりと収束のさせ方のリズム、かゆいところに手が届く。心理学、脳科学、認知科学、哲学、メディア論、政治を行き来する、この人間に関わるヒース・ゾーン(勝手に僕が名づけました)が自分が興味・関心のあるところだから、好きになるのも当然なのかもしれない。

本書は、知性と感情、理性の限界と直感のパワー、合理主義と非合理主義、正気と狂気の間を行ったり来たり、冷静と情熱の間を反復運動する。どちらか一方に偏るのではなく、両方のメリット・デメリットを拾いながらも、現状が感情、非合理主義、直感、狂気に偏りすぎてんじゃない?と指摘している。二つを融合してイノベーションがなんとか、という話ではない。むしろ、感情、非合理主義、直感、狂気への傾きが不可逆のところまで来ているのではないか、人類がこれまで築き上げてきた文明、民主主義のシステム、直感やバイアスに抗うことで築き上げてきた社会制度、その土台を蝕んでいるよ。もう後戻りできないぐらいのところまで来たし、昔の啓蒙思想を思い出して、理性を取り戻そうじゃない、けど集団で取り戻せるかどうかは分かんないけどね、人間は愚かだし、どうしようもないよね。って話。

合理性は上から押しつけられた異質なルールなどではないことを忘れてはならない。それはむしろ人間の自由と自立の基礎である。私たちが己の信念を現実に一致させたいとき、目的の追求に失敗したくないとき、共通の生活の方針で合意したいときに従うルールである。人類史の99%までを占めていた社会状況、すなわち迷信と、暴力による脅しと、最低水準の暮らしに支配されていた小規模社会の状況から抜け出すことができたのは理性の行使によってだ。だから、人間の理性の力に幻想を抱いてはならないが、理性に代わるものに対しても、同様に幻想を抱いてはならない。

引き返せない衰退期にあって、知識人に耳を傾ける気のない文明に対する知識人の責任とは何なのか。アシモフの答えはあいにく、社会から離脱し、すべてが崩壊するに任せ、しかるのちに次の1000年をかけて元どおりにせよ、ということだ。運がよければ、もっといいやり方が見つかるだろう。少なくとも私たち啓蒙思想の友は、戦術を変えてもう一度、努力してみなければならない。

特に好きなくだりは人種差別について。なのだが、長くなりそうなので、ここではまとめるつもりはなく、キーワードだけ。それは、ナッジ・パターナリズム、リバタリアン・パターナリズム、日本語にするならば、「緩やかな介入主義」とでも言うのだろうか。僕はこの方向に自分が傾きかけていることを知っている、というか可能性を感じている。

Yamapantsu

システム会社に勤務後、2009年に発展途上国の課題解決を目指した株式会社Granmaを創業。複数の展覧会を開催し、デザイン領域と社会課題の接点を創る活動に注力。現在は「学び」領域にキャリアチェンジ。 趣味は本を読み、人に会い、たまに雪山に行くこと。 2011年よりノンフィクション書評サイトHONZのメンバー。