灰になれずに残った燃えかす

きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう。ニーチェ

『ツァラトゥストラ』にある一節をふと目にしたとき、僕はこれまでの31年間で、灰になるまで自分自身を焼ききれたのだろうかと自分に問うた。気がつけば、学生の身分を卒業してからの8年が経った。

雪を過剰にまで愛し、雪上で将来にこの地球資源を残せるのか、と頭に降ってきた問いから、地球の温暖化に興味を持ったことが、自分のなかで育まれた原体験と言えるものだった。それを直覚する直前にアジアを旅していたことは少なからず影響していた、旅先で出会った人々からつながっている世界を感じさせてもらい、自分に内在する「借り」を抱えていることに気づいてしまった。

温暖化に興味は持ったものの、すでに自然科学の道から逸れていた。ぼんやりと悩んでいたときに、ソーシャル・イノベーションというコトバに出会った。地球全体を憂う青臭さとビジネスへの好奇心を同時に満たしてくれ、掴み所のなさから広がる原野を感じ、そのコトバに飛びついた。

コトバに飛びついてからは、流れるように人生が進んでいった。その過程では、起業という興奮感と悩みは思う存分に味わった。マネジメントの難しさ、自分の発言への責任、人の人生と成長に関わること、事業と組織の能力のバランス、プロモーションで見せる姿と現実のギャップ、周りからの高い評価や期待に対する勘違いとプレッシャー。ここまで心身ともに揺さぶられる経験をすることはこの先もあるのだろうか、と思うぐらい。順風満帆なときもあれば、不遇のときもあり、人の出入りで組織はいとも簡単に揺らぐ。ビジョンだけでは、人を牽引することはできないが、ビジョンがなければ人は集まりもしない。もう教訓だらけだ。

しかし、最後まで納得感を持てなかった。なぜだろう。その一つを解決してくれるブログに出会った。0→1の時期は合理性などそこまで意識しなくてよい、強い思いが重要である、しかし、その0→1で生まれた「1」を「10」や「100」にしていくのはまた違うロジックが必要である。そして、1が本当に10や100になる潜在性があるか?がさらに重要である。1まで持っていくのは難しくないが、将来の10や100を見据えての1を作ることはなかなか難儀なことだ。特に、リソースの少ないスタートアップでは尚更だ。

つまり、「1」とはなんだったのだろうか。僕はそこを徹底的に考え抜かなかった。小さいながら組織の論理や遠慮によって、またビジネス性のなさを言い訳にしていた。それこそが灰にならずに残った燃えかすなんだと思う。そこに次の新しい自分を作るヒントがあるかもしれない。

最大多数の最大幸福を実現する「プラットフォーム」を創造する

たいそれたミッションを掲げた会社だった。人間誰しもが持つ「想像力」を鍵にして、貧困問題の解決という命題になんらかの独創的な答えを出そうとした。部分最適であり、全体最適である実行可能な解を考える。正直、抽象的な言葉を弄んでいたと言えばそれまでだが、現実的なビジネスを進めるなかで、ずいぶんな時間を利用して真剣に向き合っていた。

人間誰しもが共通して持つ普遍的なものを考えた。必然的に心理学や教育学など人の内側や経済学やコミュニケーションなどの人と人の間にあるものに興味関心は移っていった。その探究の結論は出ていないし、実践も行っていない。出口のない苦しく楽しい哲学的問答だった。

立ち上げた会社を離れた今、この問題はペンディングになっている。この燃えかすを次につなげていく、そこにヒントがありそうだ。

この文章のインスピレーションをくれた、すばらしい式辞:平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞