[夏目漱石]道楽と職業をまとめてみた

人のためにするすなわち己を捨てて世間のご機嫌を取り得た結果として職業としていると見るよりは、己のためにする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人のためになって、人の気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響して来たのだと見るのが本当だろうと思います。

危なっかしいが、理想的な生き方として共感する。

幸いにして私自身を本位にした趣味なり批判なりが、偶然にも諸君の気に合って、その気になった人だけに読まれ、気に合った人だけから少なくとも物質的の報酬、(あるいは感謝でも宜しい)を得つつ今日まで押して来たのである。いくら考えても偶然の結果である。この偶然が壊れた日にはどっちを本位にするかというと、私は私を本位にしなければ作物が自分から見て物にならない。

世と時機があえば、熱狂され騒がれ、ほとぼりが冷めると捨てられ消費される。使い捨てカイロのように。けれど、そんな使い捨てカイロの生き方でいいと夏目漱石は言っているのだと積極的に誤読している。自分本位に生きていれば、世のお騒ぎも一つのイベントでしかない。また、元に戻ればいいのである。次の偶然はいつやってくるか、どうかはわからない。

道楽と職業

右か左かではなく、このグラデーションの中のどこに身を置くか。
また、最後の最後追い詰められたときに、どちら側に自分は身と心を寄せるか?であろう。

道楽と職業2

科学者でも哲学者でも政府の保護か個人の保護がなければまあ昔の禅僧ぐらいの生活を水準として暮らさなければならないはずである。
よく説世間を相手にする芸術家に至ってはもしその述作なり製作がどこか社会の一部に反響を起して、その反響が物質的報酬となって現れて来ない以上は餓死するよりほかに仕方がない。
己を枉げるということと彼らの仕事とは全然妥協を許さない性質のものだからである。

きっと、僕の仕事観はこのくだりと近い。

コメントを残す