性格診断テストでズレが明らかになるのは自己認識と他己認識

とある性格分析試験を受けたときに感じたことを綴る。

最初に結論から言うと、自己認識には時間軸があり、他己認識はスナップショット、自分の認識に一番影響されるのは自分であるから、ぐちゃぐちゃに放置しておくのではなく、基準値を持とう、意識して組み立てよう。ということである。

時間制限のある性格テスト、時間制限は余計なことを考えさせないためにあると思われる。
類似した質問が繰り返される、これは整合性を担保するためだと思われる。

であるからに、自己認識が一定していれば、最初のほうの質問には少し悩みつつも、後半になるにつれて似たような質問が多くなるため、処理スピードはあがっていく。そういった傾向になると推測される。そして、私もそのように加速度的に解答スピードはあがっていった。

しかし、一つ一つの質問を解答をするときに、自分の中での根拠と基準が揺らぐことに気がついた。

大きく分けて5つある。まず、今の自己評価。そして、過去の自己評価。自分のこうなりたいという欲。そして、他己評価。最後はテスト提出者側のイメージ。この5つの中を揺れ動いた。5つ目は基本的に避けがたいバイアスだと思うので、きっと評価側もそのあたりは気がついていると思う。しかし、一番厄介なのは、他の4つの混同である。そして、自分がよく悩みの溝に陥るときも、この4つの混同が根底にあると閃いたのだ。

まず、今の自己評価。今、自分に対してどう思っているか?だ。しかし、質問は非常に相対的なものである。「Yes、だいたいYes、だいたいNo、No」のような質問項目である。それとも過去の自分と比較して今の自分を評価するか、絶対的な価値基準で答えようとするか、他人と自分を照らし合わせて答えるか、3つの軸が生じる。それぞれ、今の自分と過去の自分を比較して評価するとき、今の自分と自分のWanna Beと比較して評価するとき、そして他人と自分を比べて評価するときである。

そして、解答中に、その3つの軸が入り混じる。まるで自分が複数いるかのような、錯覚に陥るのだ。これは、僕だけではないと思う。もちろん、マインドコントロールをして、自分を作り込んでいく人もいると思う。そういう人は、自分のWanna beを強く押し出し、テスト提出者の期待に答えようとしているにすぎないだろう。それも一種の世渡りの知恵である。

しかし、僕のような馬鹿正直者は戸惑う。まず、その3つの軸があることに途中で気がつく、どれか一つに統一しようとすることは戦略的にはOKだが、もうときすでに遅しのタイミングで気がついている。解答によりどういう風に見られたいかも重要であるが、そんな想いはかなぐり捨てた。いったい自分はどういうフレーズのときに、どの軸が発動するのか、を楽しみながら解答していた。自分を知るプロセスの一環として、自分をシンプルに見るプロセスの一環として。

しかし、この3つの軸で自己を評価している事実に気がついたのは、怪我の功名とでも言えようか。過去の自分、こうなりたい未来を願う自分、そして世間の目と評価の3つ。他己認識は家族や本当に仲のよい友人や長い時間をお世話になった上司以外からの雑多な評価は、印象論やイメージなどのスナップショットでしかない。それはそれで価値はないとは言えないが、捨ててもいいようなものだと思う。勘の鋭い人からの指摘は重要なので、取っておけばいい。

それまでに経験した失敗は、人生観を見出すための月謝と思えば、安いものだ 堤康次郎(西武グループ創業者)

Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。