テクノロジーは宗教になる?

12926-NOLQOX

「テクノロジーに目を向けたとき、そこにはもう泳ぐための“コース”はありません。そこにあるのはコースではなく、ただ、ひとつの“プール”なのです」

テクノロジーにコースはない、一つのプールの中で激しい競争が行われている。
ものとインターネットとの融合により旧来の業種がサービス化され、すべての業種がプールに投げ込まれようとしている。この圧倒的な競争の中で勝ち残れるのは、誰か?そして人々がそのプールの中から取り出そうとしているのは、効率性という時間を節約する定量的な効果と幸せという曖昧模糊なものだ。人間をおいこすような、時代の変遷のはやさというようなものは、人間にとって良いものではないが、環境が変化し、適応するのが人間でもある。そして、そのプールの中で競争に勝つための比較優位は何になるのか?圧倒的な技術力か、それともビジョン・思想に束ねられた組織力か、はたまたその掛け合わせか?

テクノロジーが人間に仕える道具だった時代から、人間の行動を最適に導く時代になりつつある。
テクノロジーにデータを送り、人間の脳のキャパシティーでは管理しきれない行動履歴から、次にとるべき最適な行動をテクノロジーが教えてくれる。IoTはどこまで人々に浸透するのか、現時点では予測しきれないが、試行錯誤は浸透するまで永遠に続けられることは予想される。よって、最終地点は人類の大半がIoTを身につけ、履歴をベースに行動を最適化していくのだ。単純に管理されるだけではなく「ゆらぎ」だって計算されて、適度な偶発性も生み出されるかもしれない。テクノロジーに詳しくないので予想でしかないが、人々がそれを求めている以上は、それを何がしかの方法で実現する技術は生まれてくるだろう。そして、そのような基本設定のスタンダードはどこに置かれるのか?

テクノロジーは宗教になる?
テクノロジーを身につけることは、サプライヤーの思想・アーキテクチャーから影響を受けることになる、これまで以上に。基準や標準設定に人は左右される。それはどこからやってくるのか?「人間は兎角あるべきだ」というサプライヤーの真善美からアーキテクトされるのか。それとも、完全なる機械学習のもとに、以前の自分が滲み出るようにスタンダードとして設定されるのか。はたまた自分の理想を設定し、それに向かって努力していくアーキテクチャーなのか。

そして、これらもただの「思い込み」かもしれないということ。

Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。