ジャムとばあちゃんとパリ 第1話

ここ15日ほど、気がつくと、子どもの頃の記憶を思い出している。そして、思い出した記憶を無理にでも書き残している。しかし、書き残す段階になって、立ちはだかるのは捏造された記憶と真正の記憶の玉石混交の仕分けである。この場合の仕分けは、1位とか2位とか、わかりやすい物差しがない。急に心配になったのは、書くという行為は記録するという行為であって、万が一、僕が明日この世から消えてしまえば、それが事実となってしまう可能性すらある。美化され、麗しく化粧されたストーリーだけが残る。杞憂すぎるのは重々承知だが、心配しすぎて困る人は僕一人だからいい。

僕が今、記憶を思い出し書き留める理由は、誰かに伝え、感動させるためのものではない。ストーリーではなく、事実を書き留めたいのだ。しかし、事実ひとつ書き残すことも難しい。羅生門のように、誰かから見た事実と僕の記憶にある事実は一致しない。先日は母親と揉めた。それはペットを飼うことを決めたときの理由についてだった。もう、18年も前の話である。自分にとっての事実は他人にとっての事実とは違う。事実でさえ、そうなのだから、周囲の目を気にしたストーリーなどなおさら脚色が入り、誇張が入り、事実とは大きくかけ離れていく。そのかけ離れた距離感と戻し方を覚えているのであれば、問題はないが、多忙な日々に流されれば、それは忘れてしまう。

いつの日か、現在の自分を肯定するために作られたストーリーが表面となり、事実が裏面にまわる。脚色され、捏造されたストーリーと真正なる事実を区別しようにも、どちらがどちらかわからなくなる。もしかしたら、現在を正当化するために過去を語っている(というか使っている)ときは、90%の確率で過去を捏造しているのではないか、と思うぐらいだ。

人に伝えるためには、わかりやすさのために複雑なことはわかりにくさとなり、犠牲となり、はしょられる。そしていつの間にか複雑なところにこそ、大切さがあったはずなのに、その詳細をどんなことだったか思い出せなくなる。認識してはいたが、当時は些細なことだと思っていたし、気にしている余裕もない多忙な日々が数年続いていた(忙しさの渦の中にいると、忙しさに気がつかず、平常を失うことを学んだ)。しかし、今振り返れば、取り除いた複雑な部分に大切なものが含まれていたし、現在を肯定するために取り除くには惜しすぎる記憶だった。

そんな後悔があるため、まずは自分の昔話を素材として検証をする(何を検証するかは、第0話参照)、題材その一(その二があるか不明)は起業ストーリー、特に個人的なきっかけ話、原体験というキラーコンテンツに絞りこむ。これは、数多くの人に個人的にも公衆の面前でも話してきた。このブログでも書いてきた。

原体験ストーリーのターニングポイントは大学で農学部に進んだこと、つまりその前にある高校での進路選択だ。自分の中にある確からしい衝動をはじめて外部化し、人に晒した経験でもある。自分の中で、その選択に至った経路は1つの確かなことと、3つの不確かなことで構成されている。

1つ、確かなことは物理がまったくできなかったことである。よって、建築系を諦め、消去法的に生物を選択しいつの間にか興味を持っていた。

3つの不確かなことは農学部を選んだ理由だ。(ちなみに大学は授権科目で選んだ、シンプルだ)

1つ目に、地理が大好きで、地図帳で広がっていく砂漠を憂い、砂漠を緑化したい、俺が農場に変えてやる!だなんて、野望を持っていた記憶だ。それなら、鳥取大学に行けよ!って突っ込みたくなるが、たぶん辺境で金沢より田舎にいくという選択がありえなかったので、消え去ったのだと思う。

2つ目はバイオテクノロジーやハーバー・ボッシュ(これは化学だが)への憧れだ。当時、バイオはブームだった。ちょうど、クローン羊ドリーが世間を騒がせていたのは1996年、98年には地元石川県でクローン牛が誕生した。ヒトゲノムが解読されたのは、2001年2月、高校二年の冬だ。2001年4月から遺伝子組換え食品の安全性審査が食品衛生法上の義務になった、そんな時代だった。バイオの夢が盛んに語られていた。

そして、3つ目は飢餓の問題を解決したいという想いだ。そこには、子どものころからなんとなく持っていた自分の中にある世界に対する違和感や嘘っぽいメディアに対するひねくれた想いが混ざり合っていた。これは第0話でも書いた。

どれも少しづつ、重なっている箇所はあるのだけれど、だいたいこんなところだ。

Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。