四高の超然主義

石川四高記念文化交流館にはじめて足を踏み入れた。

迎えてくれたのは、「超然」。寮の一部が火事によって損害を受けた後に、生まれた。
高山樗牛の「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」を引用したとされる。

OBが超然主義について、あーがこーだ語っているVTRを見た。

「世間に波風に流されずに、超越したな視点で社会を見つめ、その中で公器として振る舞い、貢献する姿勢である」と解釈している。当時の高校生がその主義を自ら議論して、実践していたことに、まず時代の違いを感じる。若さのエネルギーを確実に社会のエネルギーに変えていた時代だった。私たちは若さのエネルギーを社会とは交わり難いこと(部活や受験勉強や遊び)に使っている時点で、ギャップが大きすぎる。もちろん、当時の人達も私達と同じようなところにエネルギーも使っていたはずだが、断然それよりも社会そのものに関心を持ち、行動していた。

圧倒されるほどに、エリートとしての自負と自信に漲っていた。

西田幾多郎、鈴木大拙、井上靖、谷口吉郎、中谷宇吉郎、正力松太郎、他錚々たる卒業生がいる。もちろん、超然の思想が四高に定着したのは、1906年以降とされるから、意識的に超然を持ち得たのはそれ以降の世代であろう。しかし、校風は過去の卒業生や先生が培ってきたものからにじみ出てきているはずである。そうやって、各人の業績を見ると、全体として「超然」としたものを感じるのは不思議な事ではないように思える。