「その日暮らし」と「未来予測」の間で その1

「ヨーロッパ最高の知性」と称されるジャック・アタリの『アタリ文明論講義』を一気読みした。これまでのアタリ本の読みにくさはなく、流れるように読める本である。そのため、削ぎ落としたものもたくさんあると思うが、深く知りたければ他のアタリ本を読めばいい。

同時に『その日暮らしの人類学』という未来を予測するアタリ本とはまるで縁のない、正反対の本を読んでいた。

当初はこの2つの本を、二項対立で捉えていた。今ここを場当たり的に生きることと、未来に積極的な姿勢で生きること、と。対比の中で浮かび上がってくる新しい考察にうっすらと期待しつつ。自分の中にこの本に登場する2つの人格がいて、それらがどのように統合されるか、淡い期待を抱きつつ。しかし、読んでみると、二項対立が絶対矛盾的自己同一な雰囲気になっていった。

まず、『アタリ文明論講義』。その結論だけみれば、その自信満々さに驚くだろう。


・怠惰は予見の最大の敵だ。予測は自由の最良の味方である。そして予測は、暗黒のシナリオが現実になるのを避ける唯一の手段である。だから、予測に必要な時間を確保して、勇気をふるって予測したまえ。やってみれば思ったより難しくないはずだ。

・未来を予測する効能の一つとして、現実の重苦しさから逃れることがある。それは、夢見るためであり、思い切って挑戦するためであり、創造するためでもある。

・誰もがこの練習を刷る世界になれば、個人と共同体の未来を根本的に変えるだろう。必要な物事を先延ばしにしたり、無分別な態度を取るものは誰もいなくなるだろうし、コンピュータという独裁者に身を委ねたり、自分自身のエゴイズムに甘んじたりするものは誰もいなくなるし、あきらめたり、他人が決めた人生のトンネルに閉じこもる人たちもいなくなるだろう。

・改めて言うが、私のいうテクニックを本気で信じて実践していただきたい。そうすれば大きな変化がある
(すべて、第四章とあとがきから要旨をまとめた)


オレオレ的にアタリの未来予測のエッセンスとテクニックを余すことなく開示しているが、難易度が高すぎる。凡人にとってはかなりの時間を浪費すれば実行できるレベルに仕上がっている。そして、アタリは多くの人が自分と同じように少しでも考えれば未来はよくなる、と乱暴なことを夢見ているのは上記のとおりだ。

これは第4章とあとがきであり、第1章から第2章は、予測する力と方法の歴史を古代から現代までおさらいするものだ。宗教、政治、経済をめぐって展開する権力史や文明史にピタリと重なってくる。そして、ビッグデータ全盛の現代において、権力は誰が握っているのか、アタリは、政治組織ではなく、金融業界や保険会社が握っているのではないかと示唆する。

保険会社やデータ管理会社は、われわれの抱えるすべてのリスクを把握し個人のリスクに応じた行動をとるように指導するはずだ。(中略)権力者たちと、彼らに奉仕するコンピュータは、人間に対して神々のように振る舞うだろう。彼らは、われわれの行動を予測し、われわれに行動規範を押し付けると同時に余命を容赦なく告げ、抽象的な知性のために人類を単なる観察対象に変えるのだ。

悲観的に予測される未来の中で、アタリが語るのは、「誰もが未来を知ることができると信じたい」ということだ。コンピュータという予言する独裁者に身を委ねる必要はなく、我々は未来の大まかな傾向は推察できるし、その選択権は持つことができると。

そこでアタリが提示する方法は、「未来の基盤」、最も可能性の高い「無色物語」(無職ではない)、最悪のシナリオである「暗黒物語」を、時間軸の予測範囲(今日、今週、今月、今年、今後10年、今後1世紀、それ以上)と5つの段階に区分された予測対象を体系的に分析することだ。5つの段階とは「懐古予測」「生命維持予測」「環境予測」「愛着予測」「投影予測」だ。ここでは方法論はこれ以上詳しくは書かない、本書を読んでも理解しきっていないから、書けないという理由もあるが。

アタリはこのプロセスに取り組むことで、自分の計画や願いが、自分の直接的な行動ではどうにもならないことも含めて実現した、らしい。「自己を予測する」が、「自分自身になる」の諸条件を磁石で引き寄せるように機能し、運命を動かす力のような存在になれるらしい(意味がわかるようでわからない)。

この呪術的な雰囲気は、『その日暮らしの人類学』に近づいて来たような、、環境と自己の欲求との間にある相互依存と葛藤。

いまを生きることはいかにして可能かと問うと、「そう生きたいから」といった 個人の信条や願望と、「そう生きざるを得ないから」という状況的な制約あるいは社会的制度や道徳とのあいだに、幾層も複雑に入り組んだ価値と実践がある

欧州最高の知性が著した未来を予測するエッセンス本と、その日暮らしのタンザニア人が電撃的に接続した!!!

絶対矛盾的自己同一!!
(※たぶん、つかいかたが違う)

あれ、そう思うと、訳者のあとがきにも、未来予測について本質的なようで、実は身も蓋もないようなことが書かれているような気がしてきた。

自分の人生を大きく左右する出来事は、起きるか起きないかの二つに一つだからだ。だからこそ、われわれ各自は、コンピュータがはじき出す統計だけを頼りにするのではなく、時系列に即した因果関係のある物語を自分自身で思い描き、未来を予測しなければならないのだ。われわれ一人一人にそれは可能であるし必要だ

アタリ陣営は積極的に置かれた環境に従順になることなく立ち向かう、そしてできる限り未来を予測しようと自分に環境に働きかけ、知的奮闘する。一方、Living for Today陣営は消極的に状況依存的であるが、したたかに自分の夢を叶えようと来るべきタイミングと運を待ち構えている、特別な努力はせずにそういうタイミングが来るものと信じ切って、来ないならこないで運命だと割り切って。

「その日暮らし」と「未来予測」、この似て非なるものに、共通点がうっすらと浮かび上がってくる、肩の力の入りようは大きく違うが、。それを「その2」では書いていきたい。