お茶という交換価値の終着点1

手短なギフトの定番として、お茶という嗜好品がある。

とりわけ、紅茶が、ここ日本では人気である。特に女子の間で流通していることが多い。

そして、ギフトとして受け取ったものは表立って、何かと交換しずらいものである。そして、再び流動性の高い現金には変換が難しい消費財である。

もちろん、そんな高価なものではなく、気遣いの気持ちを伝えるものである。しかし、親に限っては送ってこないものだ。友達同士では贈るのもはばかられる実用的なものを送ってくれる。そちらのほうが日常の生活においてはありがたいものだ。なぜ、親は紅茶を送ってこないのか、他の人からの贈り物で、お茶に埋もれていることを知っているからだ、少なくとも、うちの親は。

お茶はあくまでも嗜好品であり、好き嫌いがある。しかし、なぜここまで贈り物として定番のポジションを築いているのだろうか。仮説らしきものを考えてみた。

まず関係性としてかなり親密でもない限り、友人の生活パターンは知らない。また、ギフトで送れるようなものの好き嫌いを知っていることは意外と少ない。だから、まずギフトの選択の際に、優先順位が高いのは、

1.議論を呼ばないもの
2.余計な説明が必要がないもの
3.相手に自分を変と思われない(できれば趣味がいいと思われる)もの

となる。

そして、次に贈る側として期待値を持っているのは、

1.使ってほしい
2.さらには役に立ってほしい
3.できれば邪魔になってはほしくない

である。

そう考えていくと、紅茶というギフト、紅茶を贈ることは、どの要件も満たすことになるのである。他に類似したものでいけば、調味料、グラスなどである。

その中でも、紅茶は特別感がある。贈る相手へ、以下のような暗黙のメッセージが含むからだ。

紅茶を昼下がりに飲むような生活の余裕があるとあなたのことを考えていますよ
紅茶のような嗜好品を理解できる趣味の良さがある人と私は認識してますよ

さらに紅茶には、カフェインレスや土地柄といった気配り要因、差別化要因を簡単に付与することができる。

続く、たぶん。次は、なぜそんな紅茶が交換価値の終着点になるか、について。

ソースは御茶ノ水の病院の待合室のふとした会話から

Naoki Yamamoto
1983年12月25日 石川県生まれ。野球漬けの高校生活を経て、北海道大学農学部に入学。「スノーボード、旅、読書」の三種の神器に明け暮れる。卒業後、システム会社に営業職で入社。 2009年株式会社グランマを立ち上げ。1年後に発展途上国の貧困層に必要なデザインやサービスを展示する「世界を変えるデザイン展」を六本木で開催、2万人を動員。2014年12月に退職し、現在無職。仕事の傍ら、ノンフィクション書評サイトHONZに参加中。