武人と文人の関係と未来 梅棹忠夫『わたしの生きがい論』

1)はこちら 前回では、「生きがい」を中心にしたところを引用していった。今回は、本書の最終章である「武と文」より。1975年に経団連で講演した内容がベースになっている。40年経過した今でも、まったく色褪せない論理が展開されていたことに驚きを隠せない。 時代を経ても変わらない人間の対立、お互いを文人と武人、お互いがいかに...

人生に目的はあるか? 梅棹忠夫『わたしの生きがい論』

人生に目的はあるか、意味はあるか。 予期もしない変化にぶちあたるときがある。そういうときはふと我にかえり、自分を見つめなおし、過去を振り返り、自分とはなにか、人生とはなにかと大きな問いについて考える。偶発的な出会いや衝撃的な出来事を糧に、原体験と名づけられた核を持ち、人生をストーリー化して、自分の実存に意味を創り出すこ...

『セラピー文化の社会学』を読む(2)

(1)はこちら。   自己責任論(と権力) 当事者の弱さを賞賛するという新たな意識が生まれ、また自己表現資源とする動きが台頭している。しかし、このようなセラピー的温情主義は新自由主義に基づく自己責任論は対立する。 また、セラピーと権力を巡る議論では、2つの評価がある。 弱者・被害者による活動をめぐって、それが...

セラピー文化の社会学

いつも間違って家に届く雑誌がある。ハーバードビジネスレビューだ。前に居住していた友人の定期購読が未だに届くのだ。気になるタイトルのときだけ袋をあけ、中身を見る。今月号をたまたま開いてみると、トップに「依存症療法が企業変革に役立つ」というコラムがあった。ここでアルコール依存症患者に対する治療法であるAA(Alcoholi...

『自己啓発の時代を読む』を読む(2)

(前回からの続きです。前回はこちら) じゃ、どうしたらいいのだ?自己啓発のメディアとどう対峙すれば、はたまた退治すればいいのか?ここら辺は、本書の結論に話を移したいと思う、(あまりにも自分に突き刺さり、明快な文章過ぎて、引用する量が増えてしまう。これが非常に気がかりだ。) 自己啓発メディアにより、自己を技術的に捉えるま...

『自己啓発の時代を読む』を読む

大学時代にあまりにも無防備に空っぽに生きていたので、いつの間にか自己啓発の迷宮に迷い込んでいた自分ですが、そのダンジョンから抜け出すきっかけを1つの本からいただきました。ずっと、自己啓発に抱いていた違和感を言語化してくれている秀逸な一冊でした。 この本を読むまでの自分がこの分野について考えていたことは、自己啓発本はステ...

歴史から学ぶ正しさと欲望について

時代によって正しさは移り変わる、欲は変わらない。 正しさはなんとも脆い。欲は状況や立場が変わるごとに移り変わるごとに、正しさは常にねじ曲げられる。 人間万事塞翁が馬である。 『センゴク』というマンガを通じて、親しみのあった織田信長、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康から、人間の本質を学ぶことができた。 当時は、下克上というグ...

honz書評 『死者を弔うということ』

死者を弔うということ: 世界の各地に葬送のかたちを訪ねる 作者:サラ マレー 出版社:草思社 発売日:2014-06-12 医師や救命士をはじめとした世界中の医療関係者による甚大な努力にもかかわらず、人類の死亡率は100%に留まっている 誰にとっても死は他人ごとでもあるかのように振り払いたくなるが、避けられない死。本書...

インドの代理出産と生

妊娠、出産という生殖の実践を大きく変容させる代理出産に対しては、賛否両論がある。他者の身体の利用はどこまで許されるのか、商業的出産は貧しい代理母の搾取にならないか、子どもを金銭契約に基づき譲渡することは許されるのか…。意見の衝突や矛盾は置き去りにされたまま、生殖医療技術の開発と利用は先行し、子どもが欲しいというニーズが...